2009年12月アーカイブ

心のデッサン

| コメント(4)
DSC_0001.jpg

現場の風景デッサンというより、心象風景に近いものです。
制作の前のラフですが、これらは展覧会などで公開することをしません。
「こっちの方がまだいいぞって」って言われそうで。

歳の市

| コメント(0)
DSC_0342.jpg
普段、見慣れた商店やスーパーにでも、新年の飾り物の市をがたつと、何とも懐かしい暖かい気分になります。

こんなだったよな

| コメント(5)
DSC_0073.jpg

ガキだったあの頃、こんな商店街を連れられたようで。

現場風景を借りて

| コメント(2)
DSC_0079.jpg

これは、札幌二条市場をモチーフに今年の春先に制作したもの。
おそらく今の二条市場を知る人が見たら、「えぇっ、どこが?」って思うのでは。

かつて、札幌市民の台所といわれたこの市場も、今はほとんどが高級な海産物や土産物を並べるだけの観光客を対象とした商店街になっている。

私は、この界隈に僅かに残る昭和の面影をたよりに、自分の心の中に眠っている幼い日々の大阪の市場の風景を強く重ねている。
現場を写生するというより、現場の風景から蘇る、少年時代の記憶の風景を描いているといった感じだ。

絵を描くということが、目に入れたものをそのまま手で写すだけの作業だとしたら、そこにどれほどの意味を見いだせるだろう。

目に入れたものを心で感じ、過去の記憶の風景や、ハートの中の想いをいっぱいこめることで、やっと見る人の心に届く作品が生まれると信じている。

幼い頃のるさとの風景を重ねて絵を描いていると言ってみても、私が生まれ幼少年期を過ごしたのは、のどかで穏やかな「ふるさと」という言葉のイメージとはおおよそ対極の、林立する煙突の煙が雲を染め、油で真っ黒に濁った運河が海にたれ込む工業地の町だった。

眩しい新緑の木漏れ日も、川面をわたる爽やかな春風も知らなかったけれど、工場廃屋の錆びた機械も、積み上げられたコークスの山も、すべて大切な冒険ステージでありツールだった。

片隅に、小さな我が家のあった製材工場に出入りする、工員や大工の額には汗がひかり、もり上がった筋肉が逞しく強いものに見えた。
人々のなりわいの暮らしは、つつましいながらも人情にあふれ、商店や市場は活気にあふれていた。

結局、あのころ体いっぱいに感じ、蓄えたすべてのものが、今、画家となって映る北国の風景に懐かしく重なったとき、作品がうみ出されるような気がする。

心の原風景を求めて

| コメント(7)
DSC_0290_2.jpg

私は、昭和33年、大阪市西淀川区で、男ばかりの三人兄弟の次男として生まれた。
もくもくと煙の上がる工場街の一角、父の勤めていた材木商の製材工場の片隅に、小さな我が家があった。
木造板張りの家屋はおんぼろで隙間だらけだったけれど、だからこその楽しい想い出がいっぱいある。
こんなことがあった。
ある晩、台所の流しで兄と二人歯を磨いていると、すぐ外で雑種の飼い犬がキュンキュンとないている。
子供の気配がこいしかったのだろうけれど、「コロ」って名前を呼んでやったら、突然台所の壁を突き破って顔を出して困った顔。
兄弟でおなかを抱えて大笑いした。
そんな、犬が鼻で押しただけで板が抜ける家も、そう他にもありますまい。

外の工場ではいつも、製材機やかんながけの機械がけたたましい騒音と埃を舞いあげていたけれど、出入りする工員や、大工の誰にでもなつき、昼休みにはよく、お茶をだしてあげたお礼に玉子焼きをもらっていた。

材木置き場を兼ねた工場はかっこうの遊び場で、休みの日には近所の子供たちが集まって、基地づくり、かくれんぼ、木っ端をつかっての工作と、町の小さな公園よりもよほど楽しい場所だった。

決して裕福ではなかったけれど、とても生き生きと輝いていた少年時代。
そんな、心の奥底に眠る想い出の原風景のような絵を描けたら、そんな思いで制作を続けている。